長崎新聞 雲仙普賢岳大火砕流から10年
【提言】災害に学ぶ


43人の死者、行方不明者を出した雲仙・普賢岳の大火砕流惨事から来月3日で丸10年を迎える。
犠牲者の遺族、住民が味わった苦汁の日々は、
阪神大震災や北海道・有珠山、伊豆諸島・三宅島の噴火災害への教訓として生かされたのだろうか。

普賢岳の噴火当時から被災者救済や被災地の復旧、復興に携わった各界の6人に、
全国に伝えるべき教訓と課題を聞く。


鐘ヶ江管一さん(元島原市長) 2001.5.28.記事


記憶風化、油断を懸念

有珠、三宅にも基金創設を


Q:惨事から丸10年。当時の市長として今の心境は?

43人が犠牲になった事実の重みは、10年を経ても全く変わらない。
犠牲者とその遺族、知人一人ひとりに悲劇が生まれ、悲しみは続いている。
個人的には、人生が終わるまで十字架を背負っていく。


Q:大火砕流の発生後、法的強制力のある警戒区域の設定が波紋を呼んだ。

区域外に移せなかったニワトリ10万羽、牛豚2700頭を死なせてしまったが、
人的被害は抑えた。
決断に間違いはなかったと確信している。
ただし、自然災害に関して素人の地元首長に、
区域設定の責任を負わせることには限界があった。
知事が全責任を負うべきと考える。


Q:被災者対策の特別立法は実現しなかった。

個人補償の法的な壁はとてつもなく厚かった。
当時の高田知事の勧めで、雲仙岳災害対策基金を創設し、
その「果実」による救済に移行させた。
食事供与もやった。できる限りのことはした。


Q:市民の防災意識の現状と在るべき姿についてどう思うか?

自主防災組織の活動停滞に象徴されるように、
災害の記憶の風化が進み、市民に油断や慣れが広がりつつある。

6月3日の惨事を後世に伝え、
将来の災害を最小限に食い止めることこそ(犠牲者の)供養。

苦難を乗り越えてきた過程を勇気を持って語り継ぐことが必要。

ハザードマップ(災害予測図)を
毎年6月3日を節目に見直し、発表することを提案したい。


Q:島原の教訓は生かされているか?

市長退任後、災害体験を役立てるため全国で防災の講演を始めた。
北海道南西沖地震、阪神大震災、有珠山と三宅島の噴火、鳥取県西部地震など
大災害が次々に発生し、島原から学びたいという要望が寄せられた。

しかし、最大の教訓である「基金」は、阪神大震災以外、創設されていない。

被災者への行政の対応には限界があり、法的な個人補償が充分でない中、
「基金」は必要。

特に噴火被災地で果たす役割は大きい。


Q:島原の復興は進んだか?

島原市の人口が4万人を切るなど、ソフト面では順調な復興とは言い難い。
災害にめげず努力する個々人の気概も大切。
本当の復興はこれからだ。

(聞き手:島原支局山田貴巳)