長崎新聞 雲仙普賢岳大火砕流から10年
【提言】災害に学ぶ


43人の死者、行方不明者を出した雲仙・普賢岳の大火砕流惨事から来月3日で丸10年を迎える。
犠牲者の遺族、住民が味わった苦汁の日々は、
阪神大震災や北海道・有珠山、伊豆諸島・三宅島の噴火災害への教訓として生かされたのだろうか。

普賢岳の噴火当時から被災者救済や被災地の復旧、復興に携わった各界の6人に、
全国に伝えるべき教訓と課題を聞く。


【第三回】2001.5.30.記事


高田 勇さん(前長崎県知事)


地元判断で臨機応変に

即効性ある対策必要


Q:知事在任中、普賢岳噴火災害は特に印象的な出来事だったのでは?

忘れられない。

被災者は住まいも収入の糧も奪われた。
行政にできることは、安全確保と自立の下支え。

雲仙岳災害対策基金を設けて、やれるだけの支援をした。
国と県は、21分野83項目(後に100項目)という救済策を打ち出し、
基金も当初の300億円から最終的に1090億円に達した。


Q:個人補償を含む特別立法の必要性が問われたが。

私は先頭に立って国に特別立法を求めた立場。
だが本音を明かすと、特別立法には賛成できずにいた。

「災害に個人補償なし」という定石を覆すのは簡単じゃない。

仮に可能だとしても膨大な時間がかかる。

それに、法ができれば同時に国の制約も入り込む。
地元は身動きが取れなくなる。


Q:「身動きが取れなくなる」とは?

私には一つの教訓があった。

副知事時代、
原子力船「むつ」入港(1978年)の地元対策として、
国出資で魚価安定特別基金が設けられた。

ところが、顕著な魚価下落がなかったこともあって、
国は事あるごとに基金活用に口を挟み、手を付けられなかった。

こっちは被爆県であり、水産県。

原子力船の迎え入れに対する事実上の「見舞金」ととらえていたが、
考えはかみ合わなかった。


Q:噴火災害で特別立法にこだわれば
  「むつ」の地元対策の二の舞になったということか?


そう。
特に、刻一刻と事態が変わる自然災害では、
地元の判断で速やかに、臨機応変に対策を講じなくてはならない。

実態が個人補償に近く、即効性のある道を選ぶしかない。

生活再建に支援はできても、
生活の損失そのものを行政が埋めるのは、やはり難しい。


Q:普賢岳噴火災害での県の対応は、他の自然災害に生かされたか?

基金は、借入金の利子返済を地方交付税で賄う方式が取られ、
これは阪神大震災の災害基金に引き継がれた。

カネの使い道は地元に任されるが、
そこで生じる負担は国が交付税などでみる−という方法だが、
本県が道を開いたといえるのではないか。


Q:大火砕流から丸十年。印象深いことは?

鐘ヶ江さん(鐘ヶ江管一元島原市長)と
警戒区域設定をめぐり議論したのは忘れられない。

今も被災地に足を運ぶが、水無川の下流域では
「この土砂の下に多くの家屋が眠っているんだな」と
痛切な気持ちでいっぱいになる。

(聞き手:報道部 田渕徹郎)