長崎新聞 雲仙普賢岳大火砕流から10年
【提言】災害に学ぶ


43人の死者、行方不明者を出した雲仙・普賢岳の大火砕流惨事から来月3日で丸10年を迎える。
犠牲者の遺族、住民が味わった苦汁の日々は、
阪神大震災や北海道・有珠山、伊豆諸島・三宅島の噴火災害への教訓として生かされたのだろうか。

普賢岳の噴火当時から被災者救済や被災地の復旧、復興に携わった各界の6人に、
全国に伝えるべき教訓と課題を聞く。


【第六回】2001.6.2.記事


松下英爾さん(島原市災害対策課防災係長)

島原市出身。46歳。

大火砕流から一年後、
新聞労連と毎日新聞労組は災害報道を考える雲仙集会を島原市で開催。

翌年から報道各社と地元の実行委形式となり、
住民との対話を軸に被災地救済などについて論議を重ねた。

六月二日の第十回で最終集会を迎える。

松下さんは、地元の実行委員としてマスコミと災害報道を見詰めてきた。


マスコミも教訓伝承を

雲仙集会で住民課題分析

Q:雲仙集会第一回開催のキッカケは?

噴火災害真っ最中で、災害報道の在り方が問われた時期。

過熱した報道合戦、県外マスコミが無人民家の電源を盗用した
とされる事件に加え、あの惨事で
「報道陣が定点にいたから消防団員が巻き添えになった」
との批判が出た。

マスコミの複雑な思い、住民のわだかまりの中、
被災地の実態は住民とともに明らかにすべきだとの趣旨で
「言いたい聞きたい伝えたい 島原の声を全国に」
という第一回のテーマが設定された。

住民は本音を集会にぶつけ、それをマスコミは全国に伝えた。


Q:雲仙集会の十年の成果は?

長期災害で多種多様な問題にあえぐ被災者が
集会の場で発言した現状を、
マスコミや研究者は救済すべき課題として整理分析し、
公的支援の必要性を広く訴えかけた。

住民側が行政に突きつける要望などに、
理論的背景と説得力を持たせた点でも評価できる。

被災地の問題が明確だった時期は熱気があったが、
島原地域再生行動計画(がまだす計画)が
実行段階に入り、砂防事業が進展するなど
災害救済の到達点が見えてきたころから住民の参加が減りはじめた。


Q:島原におけるマスコミの取材について。

大火砕流の6月3日や噴火の始まりの11月17日にあわせて
毎年、報道陣が島原に入り込むが、
これまでのいきさつが十分引き継がれていない面がある。

私たちは復興に向けて長い取り組みをしている。

情報発信はいいが、経過、成果など
積み重ねを踏まえて取材してほしい。

災害を通じて問われたマスコミ自体の教訓も、
若手に伝承すべきだ。


Q:今後のマスコミに一言。

被災者とマスコミが意見交流する雲仙集会には意義があった。

有珠山や三宅島の噴火被災地でも
住民と信頼を構築しながら、被災地の問題点を発信し続けて欲しい。

全国で大規模災害が続き、島原の教訓も問われている

噴火災害10年目の節目を迎えた今、
島原から発信する今後の報道はどんな展開になるのかと思う。

(聞き手:島原支局 山田貴巳)