激励訪問の報告 その1


特定非営利活動法人(NPO) 島原普賢会 杉本伸一     島原新聞 平成12年4月19日 記事より転載


 特定非営利活動法人(NPO法人)「島原普賢会」は、
北海道・有珠山の噴火で避難を余儀なくされている住民の皆さんに、
普賢岳噴火災害の体験が少しでもお役に立てばとの思いから、
現在作成中の記録誌「雲仙普賢岳災害を体験して−被災者からの報告−」を届けるため、
有珠山周辺の避難所を訪問しました。
これは、今回の激励訪問の報告です。

伊達市へ

4月8日(土)早朝島原を出発。福岡空港から千歳空港へと向かいました。
まず始めに伊達市役所を訪問し、岩間助役にNPOからの見舞金と災害体験記録誌を手渡しました。
また、
島原市職員組合が作製した「雲仙普賢岳噴火災害記録集−災害の体験と教訓を後世に−」と
委員長のメッセージ、基金事業助成実績「たくましく−復興への歩み−」も
同時に手渡しました。

そのあと、市役所のすぐ近くにある「伊達市武道館」(約200人が避難)を訪問しました。
避難所を担当する職員の案内で部屋に入ったのですが、
つめかけた報道陣も一緒になだれ込んでしまいました。
私たちは、避難されている住民の困惑した顔を見て、しまったと思い、
報道陣を押し戻して一旦部屋を出たのです。

私たちも災害当初、報道陣との対立的な苦い思い出があります。
避難所は避難してきた人にとってはそこが自分たちの生活の場であり、
テレビなどには映してほしくないのです。

報道の皆さんに理由を説明し、外で待機してもらい、
再度私たちだけで部屋に入り、住民代表に記録誌を手渡し、
「避難生活は長期化するかもしれませんが、皆さんで力を合わせ頑張って下さい」
と激励しました。

当初の予定では、全部の避難所を回って、記録誌を届けることにしていましたが、
実際に避難所を訪れてみて、ただ届けるだけではなく避難している住民の皆さんと
直接話し合いたいとの思いから予定を変更しました。

次に訪れた「伊達歴史の杜カルチャーセンター」(約600人が避難)では、
避難所の管理者である館長に私たちの希望を伝え、
避難所自治会役員の数名の人たちと意見交換の場がもてました。
自治会長の
「今まではよそ事のように思っていたが、今回の災害で人の心の痛みがわかった」との
言葉には、涙が出そうでした。

伊達市役所に戻り、市役所内の伊達市、虻田町、壮瞥町の合同対策本部を訪問しましたが、
そこで偶然壮瞥町の田鍋課長と斉藤係長を見つけたのです。
斉藤さんは島原市青年団と友好関係にある壮瞥町青年団の役員で、
島原市青年団から託されていた見舞金を手渡しました。

さらに、対策本部に隣接する火山噴火予知連絡会有珠部会の部屋を訪問し、
島原市に馴染みの深い宇井北大教授に記録誌を手渡しました。
宇井教授は
「避難住民に対して私たちに出来ることは次々にやっていきます。
住民の一時入域なども、可能な限り協力します」と話されました。

また、伊達市役所の水道課の建物に設置された、
福祉救援ボランティア活動現地対策本部を訪ねました。
ここでは、
島原ボランティア協議会の旭事務局長が、普賢岳の体験から、
各団体の運営協力などのノウハウを教示し、伊達市社会福祉協議会を中心として、
北海道社会福祉協議会、日本赤十字、各種ボランティア団体の合同での
運営体制作りが行われていました。