激励訪問の報告 その2


特定非営利活動法人(NPO) 島原普賢会 杉本伸一     島原新聞 平成12年4月20日 記事より転載


虻田町と壮瞥町

4月9日(日)、虻田町と壮瞥町を回りました。

虻田町は町のごく一部を除き、町民ほぼ全員が避難しており、
町役場も豊浦町の社会教育施設「豊浦社会館」に間借りしています。
豊浦町の臨時役場を訪問し、種村助役に面会し、
見舞金と記録誌など各種資料を手渡しました。

虻田町の場合、避難所は虻田町のみならず、豊浦町、長万部町、洞爺村、室蘭市、伊達市など
近隣市町村の19か所に点在しており災害対策本部はその連絡に追われていました。

豊浦町の「生活改善センター」(約600人が避難)を訪問し、住民代表と意見交換を行いました。
さらに、洞爺村にある「北海道立洞爺少年自然の家」(約260人が避難)を訪問しましたが、
ここの避難者は、避難所を転々と移動し、やっとここに落ち着いた人が多く、
この避難所が4か所目の人もいました。

虻田町から洞爺村を一周して、壮瞥町に入りました。
さっそく壮瞥町役場を訪問し、谷岡助役に面会、見舞金と記録誌などを手渡しました。
谷岡助役は元総務課長時代に島原を訪問され顔見知りでしたが、
3月17日の助役就任早々の噴火災害となりました。

壮瞥町の「久保内農業環境改善センター」(約80人が避難)を訪問しましたが、
この避難所には、昨年の火山フォーラムで、一緒にフィリピンの火山を訪ね歩いた
昭和新山の三松三朗さんや木彫りの民芸店主阿野洋二郎さんが避難中でした。

災害対策本部

今回の噴火対応での特徴は、噴火する以前に住民の避難が行われました。
3月27日午後八時頃から始まった地震活動について、
壮瞥町では翌日未明には防災担当者が招集され、
8時30分には災害対策本部が設置されるほどの素早さでした。
この対応には、火山で犠牲者を出したくないという普賢岳の教訓が生かされています。

伊達市は、自然災害発生に際し協力体制を確立するため、平成8年に室蘭市・登別市との
三市防災協定を結び、平成9年には虻田町・壮瞥町と防災協定を結んでいます。
この防災協定により、
伊達市役所の4階に伊達市、虻田町、壮瞥町の合同対策本部が置かれていました。
また、この合同対策本部の隣には火山噴火予知連絡会有珠部会の部屋があります。
4階はもともと議会関係の部屋ですが、このように合同対策本部や噴火予知連として
使用されているほか、国土庁、農林省など関係省庁の現地対策本部としても使用されており、
災害対策の中枢的フロアーになっていました。

さらに驚いたのは、虻田町の災害対策本部です。
私たちは今回の訪問に際して、現地の役場に出来るだけ迷惑をかけないことを第一としました。
避難所への案内も丁重にお断りし、自分たちで調べながら訪問しました。
虻田町において、助役が職員を呼んで案内するように指示されたのですが、丁重に断り、
場所だけ教えて下さいと申し出ました。

そのとき、
助役の横から「それなら私が案内します」との声がありました。
その人は、町議会の総務委員会副委員長で、あまりの熱心な申し出に、
案内してもらうことにしました。

その町議会議員によると、
「職員がこれだけ頑張っているいるのに私たちが黙っているわけには行かないですよ。
毎日5、6人は対策本部に詰めていますよ」との説明に頭の下がる思いでした。

虻田町の対策本部には、議会と行政が一丸となって災害に立ち向かう姿がありました。