激励訪問の報告 その3


特定非営利活動法人(NPO) 島原普賢会 杉本伸一     島原新聞 平成12年4月21日 記事より転載


避難所

5か所の避難所を訪問し、普賢岳の災害当時の映像と重なり合い、
胸がせつなく涙が出そうで、マイクの挨拶は涙声になりました。
私たちが体験した避難所での生活と多くの共通点もありましたが、
いくつかの特徴的なものもありました。


共通点としては、
「一日でもいいから自分の家をこの目で見たい」という声が日増しに高まっており、
自治会長さんは行政との板挟みで苦労をされていました。

また、避難して10日余り、
知人友人の所に避難していた人たちの避難所への流入が始まっており、
今までではやや余裕のあったスペースもだんだんと窮屈になっています。

ある避難所では、定員200名の施設に260名を超える状況となり、
和室は押入れまでがベッドとなっております。

最初からの人と後から来た人のスペースや場所の配分が、
自治会長の頭の痛い問題となっていました。


特徴的なものとして、壮瞥町の避難所では、グループごとにダンボールによる仕切りを設置し、
少しでもプライバシーを守ろうとする試みがありました。

また、普賢岳災害から9年、この間に大きく変わったのが、
避難所の必需品にパソコンが仲間入りした事です。
インターネットによる災害情報の収集など、今や無くてはならないものになっています。

情報の収集から、さらには「避難所と愉快な仲間たち」というホームページを立ち上げて、
避難所の生活状況を情報発信する避難所も現れています。

避難所も時代とともに変わっているのを実感しました。

今できる支援は

支援を考えるときに、まず考えなければならないことは、
相手が何を望んでいるか。何をしてほしくないかです。

私たちの体験で、してほしくなかったことは、絶対にしない事です。

お見舞いも、今の時点では迷惑をかけるのであれば、行かないほうが良いと思います。

普賢岳災害の場合も、中にはお見舞いに来る人やボランティアの人たちが災害地の役所などに
交通手段や宿舎の手配を頼むことがありました。

これなどありがた迷惑です。

まず、自分の事を自分でして初めてお見舞いや支援となるのです。


有珠山周辺の避難所では、4月10日から仮設住宅のアンケート調査が始まり、
住民は仮設住宅に大きな関心を寄せています。

「仮設住宅の入居順序はどうなるのか」「地域バラバラになるのか」
「仮設住宅で暮らす場合の生活の知恵を教えて」などの要望があります。

今、仮設住宅の体験をした人にしかできない支援があります。
被災地の皆さんがほしい情報をタイムリーに発信する。
これが一番効果的です。


私たち島原普賢会は、今後もこのような情報を被災地にむけて発信していきます。
どうかみなさんの仮設住宅での体験や、知恵をお寄せ下さい。お願いします。
(FAX 0957-62-2921 杉本 宛)

このほか、避難解除に伴って新たな問題も出てきています。
有珠山周辺は観光に依存した経済であり、避難解除になっても観光客は見込めません。
収入ゼロの中で生活をどうして行くかです。

この点についても皆さんのアドバイスやご意見をお寄せください。

島原普賢会とは

特定非営利団体(NPO法人)「島原普賢会」(理事長 大町辰朗)は、
雲仙普賢岳噴火災害によって被災した地域に整備された
砂防施設等を積極的に利用しながら、新しいまちづくりに取り組むために設立されたもので、
4月3日に登記手続を行ったところです。

活動内容としては、
公共用地内の樹木等の管理事業、砂防施設の利活用を目的とした各種イベント事業、
雲仙普賢岳噴火災害の伝承、他の被災地への復旧・復興対応に関する情報の提供を行うものです。

わが国は災害の多い国です。
この雲仙普賢岳噴火災害の後にも、北海道南西沖地震や阪神淡路大震災が発生しました。
このような災害が起こるたびに、被災の体験を持つものとして、本当に胸が痛む思いです。

私たちのような苦しみを、他の地域の人たちにしてほしくない、そんな思いを込め
秋の噴火10周年に向けて、住民の目から見た記録誌の作成に取りかかっていました。

この記録誌は、
平成12年11月に発行を予定しておりましたが、
有珠山が噴火したことから、避難生活での知恵など役立つ部分もあるかと思い、
原稿段階ですが急きょ印刷し届けることとしたものです。

今回の有珠山周辺住民の激励訪問が、この法人の最初の仕事となりました。

今後会員の募集も予定しておりますのでよろしくお願いします。