「朝は来る、希望を持って」
  鐘ヶ江さん被災地を激励

 島原新聞 「コラム」  平成12年5月14日


普賢岳噴火災害の際、島原市長として陣頭指揮にあたった
鐘ヶ江管一さん(69)が火山活動の続く有珠山の被災地を訪れ、
自らの体験をもとに避難住民らを激励してまわった模様は
地元の北海道新聞をはじめ全国紙や週刊誌などで大きく取り上げられた。

たとえば、
普賢岳の教訓を生かし、被災自治体に忠言
「本当に大変なのはこれからだ」−週刊朝日
「首長さん、平常心で対応を」−週刊読売
「どんな暗い夜でも必ず明るい朝が来るように、帰れる日がやってくる。
 そのことを信じて耐えていただきたい」−日刊ゲンダイ
など

このうち北海道新聞は
「朝は来る、希望を持って」「課題は医職住」という大きな見出しで、
「ヒゲの市長」として全国に知られた鐘ヶ江さんは壮瞥町で、
「希望を持ち続けることの大切さを訴えた」と次のように報じている。

「火山災害は出口が見えない。現地を歩いて涙が出た」
鐘ヶ江さんには雲仙の苦労と有珠の姿が重なる。

雲仙・普賢岳は1990年11月の噴火以来、96年の6月の「終息宣言」まで
9000回を越す火砕流や土石流が発生し、44人の命を奪った。
総被害額は2300億円に迫った。

長期化する災害の対策で、大切なのは「医職住」と指摘する。
「まず医療。
避難所や仮設住宅暮らしが長引けば、ストレスがたまる。心のケアは不可欠だ。
そして、職業。
地域の雇用の場が奪われるし、農漁業や商工業など収入が途絶えるケースも多い。
そうなれば仕事を求めて人口流出の恐れも出てくる」

今回は国の災害対策本部が初めて現地に設けられた。
「各省庁の出先がずらりと並んでいるのに驚いた。円滑な対応が可能になる」と評価した。

だが、市町村長の重い責任には複雑な思いだ。
「避難指示の設定や解除は首長の責任。学者でさえ正確な予測ができないのに、、、。
雲仙でも苦労したのはそこでした。しかも、結果論で評価される。本当につらかった。」

雲仙では仮設住宅に入居後も就業できない被災者には食事を出すなど、
独自の取り組みを行った。
「食事の提供や公的資金による基金など
21分野100項に及ぶ雲仙での施策は貴重な前例だと思う。
有珠山では雲仙以上の救済策を考えてもらいたい」と訴える。

雲仙は着実に復興の道を歩んでいる。
「暗い夜でも必ず朝は来る。希望も持ちつづけて、今のつらさを乗り越えてほしい。」
鐘ヶ江さんは住民にエールを送った。