島原新聞

平成14年5月14日(火) 「三宅島の窮状訴え」


三宅島の窮状を訴え

〜民生児童委員の一行島原を訪れ〜

復興への取り組み学ぶ
驚く!!大きい支援の格差

火山ガスの放出で全島避難が続く三宅島の
民生児童委員協議会(会長=窪寺昇氏)の役員ら10人が
島原市を訪れた。

島原観光ホテル小涌園で12日、
島原市民生委員児童委員協議会(会長=松本博氏)の
役員らと懇談し、普賢岳噴火災害下での対応や
復興に向けた取り組みについて話を聞いた。

三宅島の状況については本紙でもこのほど紹介した通り、
全島避難から1年8ヶ月に及び、
住民らは都営住宅などに分散しての避難生活を余儀なくされており、
村民同士のコミュニティの問題をはじめ、
普賢岳噴火災害など近年発生した自然災害との支援策の格差、
島を離れたことにより経済的に窮地に追い込まれるなど
様々な問題が露呈している。

窪寺会長は
噴火に伴う島原市からの見舞いや支援に感謝したうえで
「都営住宅などに入居できてありがたいと思ったが、
 今になってみると
島民同士のコミュニティが問題だ」
と述べ、
避難生活における民生児童委員としての活動については
「委員自身も被災者でありながら活動しなければならず、
 様々な悩みを抱えている」

と打ち明け、
さらに
「三宅島は20〜60年周期で溶岩流噴火を繰り返しており、
 避難当初は1ヶ月程度で帰島できると思っていたものが
 すでに1年8ヶ月。
 今回は、
2500年ぶりの噴火ともいわれており、
 火山ガスが一日あたり4000〜7000トンも放出している。
 せめて桜島並みになれば帰島できると思われるが、
 最低でも、今後1〜1年半はかかるだろう」

などと、
今も見通しが立たない状況を説明した。

三宅村の委員たちは
「同じ被災者でなければ、なかなか心を開いて話すことができず、
 このような懇談会を設けていただきありがたい」

と感謝。

同じ噴火被災地の住民同士とあって
このほど発足した島民連絡会の副会長を務める石井節美さんは
気丈にふるまいながらも張り詰めていた心の糸がほぐれたのか
「一時、帰島した時、
 ふるさとには雑草一つ緑はなく、見るも無残だった」

と述べたところで声を詰まらせた。

三宅の各委員からは
「もとの集落と避難後の新しい地区との
 二重担当になり対応に苦慮している」
「特に一人暮らしの高齢者が
 閉じこもる環境になるのが心配だ」
「避難後に収入が途絶え、年金等で食いつないできたが
 耐え切れない人も出てきている。
 島原市独自の支援策はあったのか?」
「島原では避難状況下で家庭崩壊は起きなかったのか?」
「こどもたちのケアはどうおこなわれたのか?」

などと
深刻な質問が相次いだ。

島原市の委員は
仮設住宅入居者の健康相談などを行うために設けられた
「訪問相談員制度」
母子家庭、寝たきり老人世帯、一人暮らし世帯など
異なる家庭の状況を把握するため作成された「七色カード」などを紹介。

また、
島原市災害対策課の職員が
災害対策基金義援金基金によるきめ細やかな支援策
生活及び住宅再建策などについて説明すると
三宅村の委員らは
島原における支援の行き届いた内容に驚き、
格差に対する認識を新たにしていた。


一番の近道はまず団結
 行政やマスコミの協力を

「何の術も持ち合わせていない現状から
 復興への一番の近道を教えてほしい」

との質問に対しては
「島原でも災害発生当初は
 住民と行政の間がぎくしゃくした状況もあったが
 
とにかく島民をまとめて行政と一緒に取り組んでいくことが大事。
 そのためにも
島民同志の連携が必要であり、
 そのうえで行政には貪欲にお願いし、
 被災者同士の協力とともに
 マスコミの協力も得て進めていくことが肝要だ」

とアドバイス。

島原市の松本会長は
皆さんがもっと声をあげて行政を動かすべき。
 都の社協が、全国の社協に義援金をお願いするなどの
 取り組みがあってもいいのでは」

と提案した。

窪寺会長は
「復興に向けて苦難はあるが、いずれは帰島できると信じており、
 その時のためにも皆さん方の取り組みを参考にしていきたい」

と述べた。

なお、懇談会の冒頭、島原市の松本会長から
三宅島の窪寺会長に対し、激励の見舞金も贈られた。